こんばんは
今日も元気なしまぶーです。
突然ですが
あるブログを読んで
すごく面白かったので
そこにあった「幸せというのは何なのだろうか」ということについて
書いてみようかと思います。
例えば
皆の給料が100円で自分が80円と、自分の給料が70円で他が60円の場合
あなたはどちらを選ぶでしょうか?
仮にどちらも物価は一定で。
行動経済学的に言えば、人は後者を選ぶようです。
もしそれが正しいとすれば
幸せというのは相対的なもので
そこにはトレードオフの関係が存在するということになります。
要は、誰かがプラスになるとその分誰かがマイナスになるということですね。
技術の進歩とか医学の進歩とかで
幸せの総和は時代を経て増えているのかもしれないけれど。
このブログの著者は
人生の目標として「幸せになること」という表現を使うことに異議を唱えていて
幸せというのは「○○をして、幸せになる」というように
結果としての「感情」で、目標にはなり得ないとしていた。
確かにこの「○○」に「カラオケ」でも「食事」でも入るのなら
その人生何でも良いことになる。
「人生の目標は?」
「幸せになりゃなんでもいいよ」
ということになってしまいます。
それじゃあ目標でも何でもない。
関係ないのですが、個人的に
「好きなタイプは?」
「○○してくれる人」
という人に対して、僕はこの著者並に反論していて
「○○してくれる」→「自分を幸せにしてくれる」→
「自分が気持ちいい」→「気持ちよくなる自分が好き」
ということのように聞こえて…
きっと「好きなタイプ」の答えっていうのは
「○○してあげたくなる人」
っていうことなんだろうな〜
と、個人的には思っていたりします。
閑話休題
で、そもそもこの
「他人より良い=幸せ」という価値観を否定できたら
もっと人は「幸せになれるのではないか」というのが趣旨で
「願わくば我に七難八苦を与えたまえ」
「かわいい子には旅をさせろ」
苦しいこと、大変なことを望む
っていうのは人間なかなか難しいし
実際、僕はかけらもできていないんだけれど
そういうことができる人ってすごいなぁと思うわけです
「人生マゾ」つまり
「「挑戦する、闘う」ということにアドレナリン分泌しまくりの人」つまり
「つええ敵におらわくわくすっぞ」という人
つまり
「サイヤ人」
サイヤ人はやっぱりすごい、という話でw
「一般的に人がうらやむこと」に対しての評価を高く持たない
「幸せと思われていること」を目標におくと
結局は余計な嫉妬やねたみ、うらやみ、自己比較が発生してしまったりしてしまう。
「幸せでない価値観」を是とする価値観があれば
逆に「幸せそうなこと」と享受できる確率が高まるのではないか
という人生パラドックスがありそうだということです。
一般的に男性が「かわいい女の子」が好きなのも
こういう事なんだろうなぁと思う。
他人と比較して、一般的に評価できる女性を連れているほど
相対的に「幸せ」である。
それを誇示できる、というすごく男性っぽい欲求。
そういう潜在意識がきっと
男性のDNAの中に含まれているのではないか、と
まぁしょうがないんですけどね。
かと言ってじゃあそうするなと言われても難しい訳でw
自分のこういう感情っていうのは、そう思うように作られているんだなぁ
と、考えるのが重要なのかなと思う次第で。
わぁわぁいうとります
お時間です
さようなら
最近のコメント