サイレンススズカという馬
今日も元気なしまぶーです。
さて、秋と言えば
食欲の秋
読書の秋
芸術の秋
と、いろいろな言われ方をします。
一人一人にそれぞれの秋があると思いますが
僕の場合は…
天皇賞・秋
なんと言っても4枠7番ウォッカでしょうが
僕はこのレース、1枠1番に思いを馳せています。
というのも、ひとしきり馬を見てきて
最後の直線で豪快に差す馬もカッコいいけれど
道中誰にも先行を許さず、最後まで先頭を走り続ける逃げ馬に
どこかロマンを覚えてしまうのです。
平成10年
同じ天皇賞・秋
『11月1日東京11レース1枠1番1番人気』の“1並び”で、
スポーツ新聞には、同日に開催されていたF1日本GPにかけて“F1ホース”と呼ばれていた馬がいた。
サイレンススズカという馬
単勝1.2倍の圧倒的1番人気
このレース後には距離への挑戦も含めてジャパンカップへ参戦し、翌年はアメリカへ遠征するプランが発表されていた
騎乗の武豊はレース前に「今回も(普通の馬にとっての)オーバーペースで逃げるつもりです」と堂々と宣言
レースがスタートすると
デビュー以来最高といっていい状態で出走したサイレンススズカは
抜群のスタートでグリーンベルトに導かれ快調に飛ばし
前走を上回る1000m57秒4の超ハイペースで大逃げをうった
競りかける馬はサイレントハンターも含めて1頭もおらず
3コーナー手前では2番手に10馬身、さらにそこから3番手までが5馬身と後続を大きく引き離し、
テレビの中継カメラは目いっぱい引かなければすべての出走馬を映し切れないほど
誰もが勝利を確信した
その時…
遡って
4歳新馬戦
この時点で他の馬に騎乗していた武豊は
「皐月賞もダービーも全部持っていかれる。痛い馬を逃した」と後悔した、というコメントを残している。
そもそもこの馬の出自にはちょっとした偶然があって
1993年の種付けシーズンに、当初生産者は母ワキアにバイアモンを二度種付けしたが、二回とも受胎しなかった。
そこで種付けの権利を持っていた、同年春のクラシック戦線で産駒が大活躍した社台スタリオンステーション繋養の
トニービンを配合しようとしたが、ワキアが発情した日のトニービンの予定は既に埋まっていた。
繁殖牝馬の発情の機会は、一度逃すと次がいつになるかわからない。
そこで、当時まだ産駒がデビューしておらず種牡馬としての実力は未知数であったが、
社台が代わりにと推薦したサンデーサイレンスを種付けした。
こんな偶然が一つの奇跡を生んだということである。
新馬戦のあとは香港国際で鞍乗が豊に変わるまで不振が続く。
陣営は抑えて走ることに固執していたため、この馬本来の走りができていなかった
大逃げしてさらに差す、これが彼の持ち味。
それをうまく使えなかった上村は降ろされ、間に河内をはさみ
新馬戦以来気になっていた本馬に対し、
「依頼が来るのを待つのが騎手」と言うスタイルを崩して自ら陣営に騎乗を申し出たのが武豊である。
そしてこの1年目に培った「大逃げ」というレーススタイルと、ここから始まった武とのコンビが、翌年の快進撃を導く。
5歳春 金鯱賞
GI制覇 宝塚記念
6連勝 毎日王冠
ちなみにこの時レースを実況していたフジテレビの青嶋達也アナはその見事な逃げっぷりに
『どこまで行っても逃げてやる!!』と実況していました
っていうかこのレース豪華すぎます
そんな快進撃の中の
天皇賞・秋
3コーナーを過ぎ、東京競馬場の名物大ケヤキの辺りを過ぎたところで突然サイレンススズカは失速
左前脚手根骨粉砕骨折発症により、競走を中止
結局予後不良と診断され安楽死処分となる
その時フジテレビの競馬中継を担当した塩原恒夫アナウンサーはこの事態に際し、
咄嗟に父の名にかけた沈黙の日曜日という言葉を発し、強い印象を残した。
皮肉なことに、このレースを勝ったオフサイドトラップは本来母ワキアに種付けられるはずだったトニービン産駒だった。
もし生きていたら…
ってたぶんいろんな人が思ったろうけど
乗っていたご本人はその誰よりも強く思ったろうなぁと思います。
さぁさぁ
そんな感慨深いこのレース
1枠1番のコスモバルクには是非頑張ってもらいたいものですよ
◎ウォッカ
○シンゲン
△カンパニー
△サクラメガワンダー
▲マツリダゴッホ
▲ドリームジャーニー
穴エアシェイディー
願コスモバルク
といった感じでしょうかw
JRAのダイジェスト版みたいなのがあったので載せておきます
サイレンススズカ〜稀世の逃亡者〜
わぁわぁいうとります
お時間です
さようなら







台風が東京の汚いものを



















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